『山姥』
昨日の「山村若佐紀 上方舞 夏の会」で舞わせていただいた『山姥』。
師匠がこの曲をご提示くださったときは、こんな難曲を勉強できるのかと、感慨深い思いでした。
稽古をはじめても、とにかく捉えどころがない。間も取りにくい。
能の『山姥』は、山姥の曲舞で有名な都の遊女が、山中で本物の山姥に会いその舞を見る、という内容ですが、地唄では、もと遊女である山姥が山めぐりの舞を舞っている、逆に遊女が座敷で山姥の舞を見せている、さらにはこの山姥は坂田金時の母親である…など、さまざまな解釈があり、一筋縄ではいかない難解さがあります。
そんな中思い出すのは、故・山村楽正師匠の『山姥』。
まさに山の精霊、山の草木や小川の流れなどの自然の風景が目に見えるような、スケールが大きくダイナミックなお舞台でした。
美しい四季のうつろいを生み、豊かな恵みをもたらす「自然」。その一方で台風や地震など、大きな災害を起こします。人を喰らうという山姥は、ときに人にわざわいとして襲いかかる「自然」そのものの象徴なのではないかと思い至り、本番を迎えました。
なかなか思うようには舞えませんが、お越しくださった他流儀の大師匠から過分なお言葉をいただき、またお客さまから「涙が出た」「ずいぶん大きく見えた」など嬉しいご感想も。
これから何度も舞い重ねて、ほんの少しでも、先輩の師匠方の『山姥』に近づけていけたらと思います。
ぜひ再演の際もご覧いただけますよう、よろしくお願いいたします。
『山姥』歌詞
山めぐり 一樹の蔭や一河の流れ 皆これ他生の縁ぞかし
まして我名を夕月の浮世を渡る一節も
狂言綺語の道直ぐに 讃仏乗の因ぞかし あら御名残惜しや
暇申して帰る山の 山はもと山 水はもと水 塵泥積りて山姥となる
春は花咲き紅葉も色濃く 夏かと思へば雪も降りて 四季おりおりを目の前に 万木千草 一時に花咲いて
面白や面白や 鬼女が有様見るや見るやと峰に駆けり
谷に響きて今まで此 処に在るよと見へしが
山また山へ山めぐり 山また山へ山めぐりして 行方も知らずなりにけり