ABCホール「RENBO」公演ご感想
4月開催のABCホール公演のご感想をお送りいただきました。とても素敵な文章でしたので、ご了解をいただいて掲載いたします。
お書きくださったのは、京都にお住まいの遠山佐知子さん。私たちが目指したものを言語化してくださり、とても嬉しいです。ありがとうございました!
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『恋慕 RENBO』
2日目「博愛」の感想
胡弓と琴の優しい音に導かれる『賢者の贈り物』の物語り、よりドラマ的でひとり芝居のような朗読がマッチして流石でした。
『芝浜』のたっぷりの情感には引き込まれ、春蝶師匠演じるおかみさんが、本当に女の人の姿かたちでそこに居て(そう見えて)ドキリとしました。
『萬歳』では、八方に放たれる言祝ぎのパワーに包まれて、無性にハッピーな気分が高まりました。また、菊央さんの音楽に乗せ文学があり落語があり、そして上方舞『萬歳』へという流れは、全体を通して「ことば」という側面をより浮かびあがらせるのか、『萬歳』の歌と舞がひと塊りの言祝ぎ(文字通りことば)として贈られているという印象を強くしました。
異国の人もむかしの人も、人は目の前の相手を思いやって人生をあたたかくする。だから今目の前のあなた、あなた、あなたを祝福するという博愛のメッセージ。昨今は自分を守るために疑心暗鬼の鎧をつけるフォーマットが目につきます。そんな中、シンプルで普遍的な理想の灯火をともしてもらったようで、胸があたたまりました。
研鑽を積まれた芸の見ごたえ聞きごたえは言うまでもありません。そのうえで、『恋慕 RENBO』ではそれぞれの確かな様式の枠組みに、相互に入り込む風のような動きが起こっているのを感じました。風の動きは有機的に波及して、おしまいには三つの演目も客席もその場ごと内包して、ひとつの何かに結んでしまったかのようでした。
「結ぶ」というのは、ものごとを繋ぐだけのことではないのだと、思い出したのは幸田文の『結ぶこと』というエッセイです。幸田文が父露伴に「ものがわかるとはどういうこと?」と訊ねると、「氷の張るようなものだ」という答えが返ってきたと書かれています。
「一ツの知識がつつと水の上へ直線の手を伸ばす、その直線の手からは又も一ツの知識の直線が派生する、派生はさらに派生をふやす、そして近い直線の先端と先端とはあるとき急に牽きあい伸びあって結合する。すると直線の環に囲まれた内側の水面には薄氷が行きわたる。それが『わかる』ということ」(『結ぶこと』幸田文より)だと露伴は言いました。
この氷結ぶ現象の、「ある時急に牽きあい伸びあって結合する瞬間」や、そうして「環に囲まれた薄氷が行きわたる」ようなことが『恋慕 RENBO』にもあったと私には感じられました。
ではいったい『恋慕 RENBO』のそのとき、結ばれたものとは何か、露伴のいう「わかる」に当たることとは何かというと、いまだ私にはわかりません。でも、(前述の)風はそもどこから発生したのか、といえば、わかぎえふさんの演出からだということはわかります。演出とはすごいことなのですね。扇風機の風のようなものではなくて、有機的に波及する未知なるそれを起こすというのは簡単なことではありませんから。
今回、二日間を通して拝見できなかったことが悔やまれました。三公演すべて拝見して、ひとつひとつの演目を味わいながら、縦横に行き交う風を受けてみたかったと思います。
今の世は、はやくて易しいものが多く求められる風潮にありますが、露伴先生も仰るように「わかる」とは、いついつどう結ぶ(わかる)とは知れないのがほんとうだと思います。
演目を繋げるばかりでなく結ぶ『恋慕 RENBO』のコラボレーションを、これからも続けていただけたら嬉しいです。今後も期待しております。
古典芸能に限らず、こうした生の舞台を観る経験があまりありませんでしたので、つたないことを長々と書きました。お目汚し、たいへん失礼をいたしました。